| ■ガレージファクトリーから始まった |
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自宅のガレージを改造した工場で一人の男が大小のパイプを組み合わせ、曲げ、溶接する作業に没頭していました。
彼は自他ともに認めるファナティックなカーマニアで自分のドラッグレースを持つ程でしたが、同時に天才的なクラフトマンでもありました。
自宅のガレージには様々な工作機械がならび、さながら小さな工場のようだったとも言われています。
それは不屈のレーシングスピリットと速いものに対する思い入れの強さを示すエピソードだったのかもしれません。
パイプをつなぎあわせて彼が作っていたのは息子用の秘密兵器。
BMXのフレームでした。そのBMXのフレームに、彼は趣味から高じたプロまがいの溶接技術と息子への愛と、そして天才的ひらめきのすべてをこめていたのです。
1973年のことでした。 |
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| ■父親は決心した |
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ドラッグレースは荒っぽくて常識はずれなのですが、一方レースの合間には子供達がBMXでレースのまねごとをする所もありました。
競争好きな父親達はそれをみて、たちまち子供のBMXレースをつくってしまいました。彼の息子もBMXレースに狂いはじめそれ以上に父親の彼自身が「超」熱中状態になり果ててしまったのです。
息子は父親の素質を受け継いでいました。BMXレースにのめりこみ、勝つ味を覚えると、次にはその勝利を永遠のものにしたいと熱望するようになりました。ところが勝つためには、今のBMXではどこかものたりないところがわかってくると、ここをああして、あそこをこんなふうに・・・と父親は秀徹したクラフトマンの目で、すべてを悟りはじめたのです。
じゃあオレが作ってやろう−そう決心して彼はガレージにこもり愛息用のBMXフレーム製作を始めたのでした。 |
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| ■イニシャルはGT |
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幾多のトライアルの末、息子用のBMXは完成しました。とても良く走り、コントロール性にすぐれ、なんといっても耐久力は抜群でした。彼らが勝利を確実なものにしていくと、それを見た知人、友人がそのBMXを欲しがりました。
そのうちそのBMXは彼のイニシャルで呼ばれるようになりました。ゲーリー・ターナー。イニシャルはGT。
ターナーのつくったBMXは評判に評判を呼び、バックオーダーまでかかえるようになってきました。
そしてその様子を影からじっと見守っていたもう一人の男が存在したのです。 |

ゲーリー・ターナー |
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| ■BMXレースのオーガナイザー |
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さわやかな南カリフォルニアは自転車には絶好の環境です。海からのゆるやかな南風に吹かれて、人々はビーチクルーザーと呼ばれる独特のデザインの自転車を楽しんでいました。
南カリフォルニアでバイクショップを営んでいたその男は、片手間にBMXレースのオーガナイザーの仕事もやっていました。
BMXブームで子供達はもちろん、その親達までが先を争って高性能のBMXを求めていた頃でした。
BMXで常勝の名を欲しいままにしているガレージブランドBMXのすごい活躍目の当たりにしていました。
そのガレージブランドBMXが評判になりはじめた頃、男はその製作者と知り合いました。
男自身、オートバイ・ファナティックでしたので、二人が意気投合するのに、そう時間はかかりませんでした。
男の名はリチャード・ロング。この出会いこそ、世界の自転車界の歴史に残る名コンビの誕生の瞬間でした。 |

リチャード・ロング |
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| ■運命の出会い |
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ゲーリー・ターナーの天才的なデザインワークはとどまるところを知らず、次から次へとアイデアを出し、それが好成績に結びつく結果を生み出していました。一方で、その成果を多くの人々に知ってもらう(買ってもらう)ための努力は怠りがちでした。
その欠点をカバーしたのがリチャード・ロングでした。
すぐれた販売戦略と秀逸な洞察力を持ったリチャードはたちまち頭角をあらわしGTブランドの発展に寄与するようになりました。
ゲーリーはハードを、リチャードがソフトを担当して、GT社が生まれました。
それは1976年のことでした。そしてGT社が全米にその名を馳せるのはほんの数年後のことでした。 |
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| ■サクセスストーリー |
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1979年GTは株式会社になり、16年後の1995年には上場企業となりました。そこには画期的なデザイン、革新のテクノロジー、そしてBMX時代から脈々と生きつづけるRACE−ORIENTEDとも言うべきスピリットがありました。
ゲーリー・ターナー自身の開発姿勢がそのまま会社の開発コンセプトになりました。
R&D(リサーチ アンド デベロップメント)と呼ばれるそれは、BMX草創の時代にミスターGTが確立した手法に他なりません。
GTは「トリプルトライアングルデザイン」をマウンテンバイクの基本に採用し、さらにはBMXで培ったTig溶接を全面的に用いて迫力あるフォルムと自由な設計で注目をあびるようになりました。
これは旧来のラグ&リー付けフレームからの脱却を意味し、GTが真のトレンドリーダーになって行く上での大きなスプリングボードとなるものでした。
トリプルトライアングルデザインは剛性が高く、しなやかで乗りやすく壊れにくい反面、構造が複雑でコストアップや重量増というデメリットがありましたが、はてしないトライ&エラーの連続を経て、今や軽量高剛性フレームの代名詞にまで成長しました。 |
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| ■リサーチ アンド ディベロップメント |
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GTの歴史はBMXから始まり、今に至るまで、まさに”リサーチ アンド デベロップメント”そのものと言って過言でないかもしれません。
アルミ素材の選択と投入、レースでのフィードバック、そして勝利。そこには常識となったパイプの偏平化や、リアドロップアウトのリプレーザル化も先がけて導入した経過がありました。
1992年にはアメリカナショナルチームのオフィシャルサプライヤーになり、1996年のアトランタオリンピックで勝利するための
プロジェクト−プロジェクト'96−を発進させています。
ここで生まれたSB1(スーパーバイク1)とSB2(スーパーバイク2)はその後のロードバイクデザインに決定的な影響を与えました。さらにGTの技術的な挑戦は続いています。サーモプラスティックカーボンファイバーの開発、RTSからLTSシリーズに受け継げられ、そして劇的なニューメカニズム”I-DRIVE”の誕生をみたデュアルサスペンションマウンテンバイク、人間性と快適性を重視したシティバイク群など、常にGTは”TRIED
& TRUE”の精神で前進しています。
そして忘れてはいけないのがチームGTの活躍です。マウンテンバイクやBMXでは世界最高の成績を残しています。
またロードでは”LOTTO”へのサポートを開始しました。
GTのコーポレイトポリシーは「FAST」です。それは世界最速のマシンを提供することはもちろん、レース活動によって得られた成果をもっとも速く製品に反映させ皆様に速くお届けすることをも意味しています。
I-DRIVEをもはじめさらにみがきをかけたテクノロジーとヒューマニズムあふれるスピリットで力強い歩みを続けています。
ハンチントンビーチのBMXレースから続いているGTの伝説は今もすべての製品に反映されています。
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